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大津地方裁判所 平成3年(ワ)392号 判決 1996年2月09日

原告

甲野春男

甲野夏二

原告ら訴訟代理人弁護士

浅岡美恵

下谷靖子

戸倉晴美

永井弘二

森田雅之

被告

山川自動車工業株式会社

右代表者代表取締役

中村裕一

被告

山川自動車販売株式会社

右代表者代表取締役

竹田稔

被告ら訴訟代理人弁護士

藤井正夫

仁科康

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

一  被告らは各自、原告甲野春男に対し、七六万二三五六円及びこれに対する平成三年六月九日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告らは各自、原告甲野夏二に対し、四四一万三九九一円及びこれに対する平成三年六月九日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用は被告らの負担とする。

四  仮執行宣言

第二  事案の概要

一  本件は、原告甲野春男が同甲野夏二の所有する本件自動車を運転中、道路左側端にあった交通標識や石垣に衝突した事故について、本件自動車を製造した被告山川自動車工業株式会社に対して、本件自動車の左前輪に車体との結合部がゆるんでいたという構造的欠陥があったと主張し、製造物責任として損害賠償を求め、本件自動車を販売し、その後六か月点検等を行った山川自動車販売株式会社に対し、整備上の過誤があったことを主張して損害賠償を求めた訴訟である。

二  争いのない事実及び容易に認定できる事実

1  当事者(争いがない)

被告山川自動車工業株式会社(以下「被告山川自工」という。)は、自動車及び構成部品等の開発・設計・製造等を目的とする会社である。

被告山川自動車販売株式会社(以下「被告山川」という。)は自動車の販売・修理等を目的とする会社である。

原告甲野夏二は、四輪駆動ワゴン車・○○(滋賀五八ふ四〇一四)を平成二年九月二五日に被告山川から購入した。

2  原告らは、本件自動車について、被告山川において、平成二年一一月ころ、購入後一か月の無料点検を受け、同三年四月ころ、購入後六か月の無料点検を受けた(甲四、弁論の全趣旨)。

3  本件事故の発生(甲一〜三、一三の1〜3、原告甲野春男)

(一) 日時 平成三年六月九日午前九時四五分ころ

場所 大津市田上稲津町一一〇―四〇地先

事故の態様 原告春男が本件自動車を運転し、友人三名を乗せて走行中、道路左側にあった交通標識ポールに衝突し、さらに道路左傍の石垣に衝突して停止した。

(二) 本件事故により、原告春男は安静治療約五日を要する右手第一指打撲の、同乗していた乙村一夫は安静治療約一週間を要する左肩左肘打撲擦過傷の、丙川二男は安静治療約五日間を要する右肩打撲、挫傷の、丁山冬子は安静治療約七日を要する頭部外傷Ⅰ型、左上腕打撲、左手第一指打撲の、それぞれ傷害を負った。

4  本件自動車の左前輪部分の構造(乙三二、弁論の全趣旨)

本件自動車前輪の懸架方式は、ダブルウイッシュボーン式独立懸架方式と呼ばれ、別紙図面Ⅰのとおり、V字ないしY字型のアッパーアームとロアアームをフレームから外に伸ばし、その先端部において、ベアリングを介して車輪と結合されたナックルとボールスタッドにより結合されている。

ナックルとロアアーム(あるいはアッパーアーム)との結合部分は、別紙図面Ⅱ、Ⅲのとおり、ナックルの本体側先端に、頭部が球形になったボールスタッドをナットと割りピンで固定し、アーム先端部分にあるボールジョイントケースがボールスタッドの球形部分を覆うように噛み合わされることによって、あらゆる方向にナックル(ひいては前輪)が回動可能な構造となっている。

5  本件事故後の現場及び本件自動車の状況

本件事故現場付近の道路は、片側一車線のアスファルト舗装された南北に通じる道路であったが、原告春男は本件自動車を運転して北から南に向けて進んでおり、本件事故現場の先で左にカーブしていたが、それまではほぼ直線であった(甲二、検甲一の①、②、原告甲野春男)。

本件自動車は、本件事故後、本件道路左端にある側溝をまたぐ恰好で石垣に車両左側面をすった状態で停止していた(甲一、二、検甲一の⑤〜⑩、⑮〜⑳)。

本件自動車は、フロントガラスの助手席側がくもの巣状にひび割れ、グリルガード及びフロントバンパーの各左側端部、左前照灯部が後方に、ボンネット左側端部が波状に、それぞれ曲損し、左前照灯レンズが割れてなくなっていた。本件自動車の左前輪は脱落し、左前輪部の部品のうち、アッパーアームシャフトの中央部分、ロアアーム、ショックアブソーバーのみが車体に残っていた(争いがない)。

停止していた本件自動車のすぐ後ろには変形した左フロントフェンダが落ちており、続いて左前輪、左前輪ボールジョイント部のボールスタッド、フロントバンパーの左コーナーラバーと左前輪ドライブシャフトが本件ポールとの間に点々と落ちていた。左前輪にはナックル、アッパーアーム、タイロッド及び途中で引きちぎられたブレーキホースが接続された状態で残っていた。ナックルのボールジョイント結合部のボールスタッドを差し込む穴(テーパー穴)は、下端よりも上端がやや広いすり鉢状であり、本件事故後左後方から右前方方向に向けてやや長円形に変形していた(甲二、乙三、検甲一の⑥〜⑧、⑪〜⑭、⑳、、、九)。

本件道路上の本件ポールの近くには、本件ポールを中心として大きく円を描くようにタイヤによる二条の擦過痕が残っており、本件ポールは本件自動車の進行方向に傾き、二か所の衝突痕とタイヤ痕があった(甲二、検甲一の②〜④、四、五)。

三  争点及び当事者の主張

1  本件事故直前、走行中の本件自動車の左前が沈み込む異常が発生したか否か。

【原告ら】

原告らは、本件自動車を購入後、通常の方法により使用し、本件事故当日も原告春男が友人らとドライブに行く途中であったが、本件事故現場にさしかかったとき、本件自動車の左前が沈み込むように感じられ、ハンドルが急激に左に切れ、運転していた原告春男はハンドルのスポークで右手親指を打撲した。

原告春男はハンドルを右に戻そうとしたが全く動かず操舵不能の状態となって、本件自動車は本件ポールに衝突した。

本件ポールに残された二か所の衝突痕のうち、上にある衝突痕の高さは道路側から計ると九三〇ミリメートルであるが、本件自動車に取り付けられたグリルガードの上部が右衝突痕の位置と一致するとみられるところ、本件自動車の四人乗車時のグリルガード上部の高さは九六〇ミリメートルであり、これらを比較すると、三〇ミリメートル低くなっており、衝突当時、左前輪に沈みが生じていたことが分かる。

【被告ら】

本件自動車のグリルガードが本件ポールと衝突したことによるとみられる痕跡は、上部よりも下部の方が外側にあったのであるから、車体が左に傾いていたとみるのは不合理である。

本件ポールと本件自動車のグリルガードとの強度からすれば、本件ポールの上にある衝突痕は、グリルガードが本件ポールに衝突した後、これに押されてグリルガード左側部分全体が後方にたわみ、グリルガードを介して車両本体の高剛性部に本件ポールが衝突したことによって生じたものと解され、本件自動車の本体のうち、フェンダーシールドパネルやバッテリステーリンホースメント、フードアウタパネル、フードインナパネル等の高剛性部の地上高はおよそ九三〇ミリメートルないし九五五ミリメートルであるから、本件ポールの衝突痕の位置を根拠として、本件自動車が本件事故前に運転者が感じる程に左側が沈んでいたとは考えられない。

また、本件自動車の左側が一〇ミリメートルや二〇ミリメートル上下動したとしても、車体がガクンと傾いたように感じられることはない。

2  本件事故当時、ボールスタッドとナックルとの結合がゆるみ、本件自動車が操舵不能の状態になったか否か。

【原告ら】

本件事故後、ナックルのボールジョイント結合部のテーパー穴は、下端よりも上端がひろいすり鉢状で、かつ左後方及び右前方方向へやや長円形に変形していたが、右変形は、本件事故前に、ボールスタッドとボールジョイント結合部が摺動していたことを示している。

ナックルのテーパー穴上面には、ボールスタッドが抜け出したときにできたと思われる圧痕があるが、その角度は進行方向から大きく右にずれており、衝突当時、ハンドルが左に切れて操舵不能になっていたことが原因と考えられる。

標識柱には、左前輪のタイヤパターンが明瞭に残っており、左前輪の衝突時の回転が緩やかであったことを示している。

【被告ら】

ナックルのテーパー穴の変形は、斜め一方向にのみ変形しているところ、自動車は前後、左右、上下と様々な挙動を行うことからすれば、通常走行中の摺動によるものであれば、円周の全般にわたって磨耗するのが通常である。

また、ナックルの素材は、機械構造用炭素鋼であり、余程の大きな負荷がかからない限り変形しないことからすれば、通常の摺動する程度の負荷では歪みは生じ得ない。

本件自動車の車輪の懸架方式によれば、車両路面反力による上向きの力がナックル等を経てボールジョイントケースを上方に押しつけ、トーションバースプリングの反力による下向きの力がボールスタッドを下方に押しつけており、さらに、ボールジョイント部では、ボールジョイントケースにボールスタッドの円頭部を差し入れてから、四トン以上(実際には五トン強)の力をかけないと外れないようにかしめられている。

本件事故後の部品の損壊状態からすれば、左前輪は、本件ポールとの衝突の際に引きちぎられるように離脱したというべきである。

3  本件事故当時、ボールスタッドを固定するナット及び割りピンがはずれ、あるいはゆるんでいたか否か。

【原告ら】

ナットと割ピンは本件事故現場付近から発見されていない。

ナックルのテーパー穴内部には通常生じない損傷があり、この傷はボールスタッドのネジ切り部分の上部のアール角の端がテーパー内壁に接触したことによる傷と考えられるが、その位置がテーパー穴の進行方向側にあり、さらにボールスタッドが衝突によって引っ張り出されたと考えられる部分よりも進行方向に向かって左側にあることからすれば、ボールスタッドが衝突の衝撃により進行方向に引っ張られたときにできたものとは考えられない。

本件事故後、ボールスタッドのネジ部は、一部分が縦に破損していたのみであり、他の部分はネジ山がそのまま残っていたのであるから、本件事故の衝撃によってナットがむしり取られ、ボールスタッドがはずれたとみることはできない。

ナットの強度がボールスタッドよりも弱いとすれば、ナットのネジ部分がボールスタッドのネジの溝に残り、割りピンについてもその破片が残ると考えられるところ、本件事故後、右のような痕跡はないことからすれば、割ピンとナットは本件事故前から外れていたとみるのが相当である。

【被告ら】

本件事故後、ナックルのボールスタッド取付部の下面のナットとの当たり面は、錆のないきれいな状態で残っており、離脱したボールスタッドのネジ部分が甚だしく崩れ、ナット側のネジの細かい破片が付着していたことからすれば、本件事故当時、ボールスタッドにナットが締めつけられていたとみるのが相当である。

ナックルのテーパー穴内部にある傷が、ボールスタッドがナックルから抜けかけた状態にあったために生じたものであるとすれば、テーパー穴内壁の全周上に無数に傷が生じるはずであるが、本件においては三か所に傷があるにすぎない。傷のうち、二つは約1.5ミリメートルの間隔で上が短く、下が長く、平行してあるところ、この間隔はボールスタッドのネジ山の間隔と一致しており、これらの傷は、ボールスダッドが本件事故の衝撃によってナックルから離脱する過程において、揺り戻しが起こったときに、ボールスタッドネジ部下端がテーパー穴内壁に接触して生じたものと考えられる。

ボールスタッドの材質は合金鋼(その引っ張り強さは八〇kgf/平方mm)であるが、ナットは通常の軟鋼(その引っ張り強さは四〇ないし四六kgf/平方mm)であるから、その強度において格段の差があり、ねじ込まれているナットからボールスタッドをむしり取った場合にはボールスタッドのネジ山はほとんど損傷を受けることはない。したがって、ボールスタッドのネジ山の損傷は、強度がほぼ等しいナックルと擦れたことによるものと考えるのが相当である。

また、ボールスタッドのボール部を収納するボールジョイントケースのすぐ上にはドライブシャフト(アウターレース、ブーツプロテクタを含む)が通っており、その間隔は6.4ミリメートルないし12.3ミリメートルであるから、ボールスタッドがナックルのテーパー穴から12.3ミリメートル以上抜け出るためには、ドライブシャフトの外周面を損傷するかナックルが折損するなどの破壊が生じない限り不可能である。

したがって、ボールスタッドがナックルからはずれることはない。

4  被告山川による本件自動車の定期点検において、欠陥(ボールスタッドを固定するナット・割りピンの脱落)の見落としがあったか否か。

5  原告らの損害

【原告ら】

(一) 原告春男について

同乗者の分を含む治療費

六万五九四〇円

同乗者への見舞金 四万六四一六円

慰藉料 五〇万〇〇〇〇円

弁護士費用 一五万〇〇〇〇円

(二) 原告夏二について

本件自動車の損害

二九四万五〇五〇円

車両移動費 二万四九八〇円

調査費用 七一万一四六一円

代車代 二八万二五〇〇円

弁護士費用 四五万〇〇〇〇円

第三  当裁判所の判断

一 原告らの被告山川自工に対する請求は、同被告が本件自動車を製造するにあたって、その購入者である原告らが適正な方法にしたがって使用を続ける場合に、本件自動車自体の欠陥に由来する原因によって、その身体・財産等に損害を与えることがないように注意すべき義務があるにもかかわらず、それを怠ったという過失があることを主張し、右欠陥に基づいて原告らが被った損害の賠償を求めるものである

したがって、原告らは、同被告の右不法行為に基づく損害賠償の要件として、①本件自動車が有していた欠陥の内容、②同被告が本件自動車を製造する過程において右欠陥が生じたものであること、③原告らの損害が右欠陥に基づくものであることを主張・立証すべき責任を負担する。右にいう「欠陥」とは、当該製品の品質・状態が、社会通念上要求される合理的安全性を欠いていることをいうものと解されるところ、本件で問題とされる自動車については、多数の部品によって構成される科学的、技術的に高度で複雑な製造物であって、高速走行に耐えられる安全性を求められていることはもちろん、速度や燃費等の走行性能、運転における快適性、内装・外観に対する嗜好等さまざまな需要に応えるための工夫が施されており、製造業者においてその構造・品質等についての情報を熟知しているのに対して、その使用者は自動車一般に通じる概括的な知識しか持ち合わせていないのが通常であることに鑑みれば、主張・立証すべき「欠陥」の内容として、当該製品に限っての製造上、設計上あるいは指示・警告上の危険を生じさせる具体的な原因についてまで主張・立証することは困難を極める作業であるといわざるを得ない。したがって、自動車事故について、いわゆる製造物責任を追求する原告としては、第一次的に、当該自動車の合理的な使用期間中に、通常の使用方法で使用していたにもかかわらず、身体・財産に危険を及ぼす異常が発生したことを主張・立証することで一応の「欠陥」の主張・立証として足りると解すべきである。これに対し、右「欠陥」の存在を否定する相手方当事者は、原告が主張・立証した「異常」が当該自動車の製造上、設計上の問題に起因しないことについての具体的な事実等を反証すべきであると解される。

本件についてみると、原告らは、被告山川自工の製造した本件自動車を購入し、九か月足らずのうちに本件事故が発生し、その間に被告山川において、いわゆる六か月点検を受けていたこと、本件事故は、原告春男が本件自動車を運転中に、道路脇にあった交通標識、さらに石垣に衝突させた事故であり、事故現場は舗装された直線道路で、走行の障害となるものはなかったことは前記のとおりであり、本件自動車を購入後、原告春男はこれを通常に使用していたことは同原告本人尋問によって認められる。従って、本件自動車に「欠陥」があったことを主張・立証すべき原告らは、第一次的に、本件自動車の走行中に異常が発生したこと、具体的には本件自動車の左前が沈み込み、ハンドル操作が不能な状態になったこと(争点1、2)を主張・立証することで足りるというべきである。

二  争点1について

1  証拠(甲二、乙四、検甲一の①〜⑥、⑨、⑩、四、五、一三、一四)及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

本件ポールには駐停車禁止、速度制限及びはみだし禁止の交通標識が取り付けられ、その北側には消火栓の標識と切り株があった。

本件ポールの衝突痕は、概ね北西方向に縦に並んで二か所ついているところ、本件ポールは、道路のアスファルト舗装された部分の切れ目にあるために右衝突痕の路面からの高さを測定するに当たって、道路中央側と道路端側のいずれから測定するかによって高低差があり、上部にある痕跡については、その最も凹んだ箇所の路面からの高さは、道路中央側から測ると約九三〇ミリメートルであり、道路端側から測ると約九六〇ミリメートルであった。

本件自動車の前面に取り付けられたグリルガードは、車両左側部分が車両後方に変形し、上部、下部それぞれに本件ポールとの衝突によるとみられる凹みがあり、左端には擦過痕がある。それぞれの凹みの位置は、別紙図面Ⅳのとおり、上部の凹みの方が下部の凹みよりも外側に残っている。

2  原告春男は、本人尋問において、本件ポールの約一〇メートル手前で本件自動車の左前がガクンと沈み込み、ハンドルが急激に左に切れて、そのときにハンドルを握っていた右手親指がはじかれて負傷したと供述し、甲第三号証によれば、原告春男は、右手第一指打撲の傷害を負ったことが認められる。そこで、原告らは、右供述に加えて、本件自動車に四人が乗車したときのグリルガード上部の地上高が約九六五ミリメートル(乙三二、弁論の全趣旨)であるにもかかわらず、本件ポールの衝突痕の路面からの高さが約九三〇ミリメートルであることは、本件事故当時、本件自動車の左側が沈んでいたことを示している旨主張する。

しかし、弁論の全趣旨によれば、本件ポールに残っている二つの衝突痕は、その間隔が約五五〇ミリメートルであるところ、グリルガードに残っている凹みの上下の間隔は約二七〇ミリメートルであること、グリルガードは厚さ二ミリメートル、外径42.7ミリメートルのステンレスで作られていることが認められ、これによれば、本件ポールに残った二つの衝突痕は、グリルガードとの衝突のみによって生じたとは認められず、他の剛性の部品と直接ないし間接に衝突したことによるものと認められるのが相当である。被告ら主張によれば、グリルガードより後ろにある本件自動車前方の強固な部分としてはフェンダーシールドパネルやバッテリステーリンホースメントがあり、これらの部品の地上高は四人乗車時で約九三〇〜九五五ミリメートルであるところ、本件全証拠によっても、本件ポールの衝突痕が本件自動車のいずれの部品によって生じたかを特定することはできない。さらに、後記二2(二)のとおり、本件自動車と本件ポールとは複雑な過程を経て衝突したのであるから、どのような状況で、どの部品が衝突したのかを特定できない限り、単純にグリルガードの位置と本件ポールの衝突痕の位置との関係から、本件自動車が衝突時に傾いていたか否かを推測することはできないといわざるを得ないし、特に、本件ポールはアスファルト舗装の切れ目にあって、いわば斜面になっていたところに立っていたのであるから、本件ポールの凹みを生じさせたときに、本件自動車の左前輪が本件ポールの道路端側(ポールに向かって左側)にあった場合には、そのことだけで本件自動車はアスファルトの高低差に応じて傾くと考えられるから、原告らの右主張を採用することはできない。

原告春男の供述については、自動車運転中の衝突事故という短時間のうちに劇的な状況の変化が生じた事柄に関する供述であるから、その前後関係や刻々の状況については記憶違いや動揺による記憶の欠落等もあり、事故状況の認定資料としては慎重にならざるを得ないところ、路面に残されたタイヤ痕によれば、本件自動車は本件ポールとの衝突後にポールを軸として大きく左に旋回したことが推認されるから、そのときにハンドルが急激に左に切られた勢いで右手親指を負傷した可能性も否定できないことや、同原告が本件ポールとの衝突の衝撃は大きくなかったと述べている点は、本件自動車が左回転をしていることからすれば不自然といわざるを得ないことも考え併せると、本件事故前に本件自動車の左前が沈んだことを示す客観的な証拠が他に認められない以上、右供述のみをもって本件自動車の左前が沈む異常が起こったと認めることはできない。

三  争点2について

1  原告らは、本件自動車の左前輪のナックルとロアアームとの結合がゆるんでいたために操舵不能となり、本件ポールに衝突するに至ったと主張し、原告春男が、車体が沈み込んだ後右にハンドルを切ろうとしたがきかなかったと、これに沿う供述をするほか、甲第一号証(鑑定書)は、テーパー穴の変形がボールスタッドが長時間摺動状態にあったためであると結論づけ、同第一二号証の1(鑑定書)は、本件自動車の左前輪が左に向けて切れていたことの証左として、本件自動車の最大舵角が約三〇度であるにもかかわらず、テーパー穴が変形した楕円形の長軸が進行方向よりも右に約五五度の方向を向いていることから、衝突前に左前輪が約二五度傾いていたことを示すと指摘している。

2(一)  他方、証拠(乙五〜一二、二七〜三二、三五、三六、三八、三九、検甲一の⑦、⑧、⑪、⑬、⑭、二、三の1、2、戊村良一)及び弁論の全趣旨によれば、本件事故によって損傷した本件自動車の部品の状況について、次の事実が認められる。

アッパーアームは、V字型をして車両内側の幅広側にはアッパーアームシャフトが通されてつなげられているが、本件事故後、左前輪と共に脱落したアッパーアームシャフトは、車体に向けて延びている部分の前側が上方へ、後ろ側が下方へ、それぞれねじられたように変形し、アッパーアームシャフトの結合部軸受内にはシャフトが折れて残っていた(なお、シャフトの中央部分のみは車両本体にショックアブソーバー等と共に残っていた―前記第二の二5参照)。

ロアアームのボールジョイントケースが車両進行方向の前側部分が破損し、ボールスタッドは、ナックルからも離脱して左前輪の脇に落ちていたが、球形の頭部に続くテーパー部からネジ部分にかけては曲がって変形しており、ネジ部分が割りピンを通す穴をはさんで縦方向に大きく削れており、残ったネジ部分の間に金属片が付着している箇所が少なくとも二か所あった。

脱落していた左前輪のタイヤは、内側の外周部(ショルダ部)がバーストして、アルミホイールもタイヤ保持部(リム部)で円周方向に破損して分断され、車両内側寄りの部分は破断し、あるいは亀裂が生じていた。

(二)  被告山川自工の乗用車開発本部シャシー設計部に所属していた戊村良一は、陳述書(乙三二)及び証人尋問において、左前輪が車体から脱落したことについて、アッパーアームの変形やアッパーアームシャフトの損壊状況、ボールスタッドがわん曲し、ネジ部が縦方向に削られていること、左前輪のタイヤとそのアルミホイールの損壊等の状況からすれば、過大な力が前輪と車体との結合部に加えられた結果であると推測し、本件野事故は、「グリルガードやフロントバンパーが本件ポールに衝突して後方に曲損され、さらに左フェンダーを破損しながら本件自動車が前進して、タイヤ外周部の車体内側寄りの部分が本件ポールに衝突してタイヤのバーストやアルミホイールの分断が生じたが、本件ポールがさらに車体内側寄りに食い込んだために、ボールジョイント部の離脱やアッパーアームシャフトの折損が生じた」という経過をたどり、前輪がむしりとられた旨証言する。

証人戊村の右証言は、右(一)認定の事実及び前記第二の二5の事実と符合するということができ、弁論の全趣旨によって認められるボールスタッド、フェンダーパネル、アッパーアーム、ナックルの材質及び引っ張り強さ(その詳細は別表のとおり)とも矛盾しないことからすれば、本件事故の経過を説明するものとして肯認することができる。

3  これに対し、甲第一号証(鑑定書)については、ボールスタッドの摺動によってテーパー穴が変形したとする根拠として、ナックルが鋳造品であるために延性がなく、過負荷が加わった場合には割れてしまうこと、ボールジョイントはナックルよりも固く、長期間摺動状態にあると、磨耗による変形が生じることをあげているが、証拠(乙三二、戊村良一)及び弁論の全趣旨によれば、ナックルは機械構造用炭素鋼でできた鍛造品であって、引っ張り強さは七〇kgf/平方mm以上であることが認められるから、その点についての認識を誤っている右甲号証の推論は採用できず、したがって、同甲号証が、事故の状況について、本件自動車が本件ポールに衝突した衝撃によってアッパーアームがはずれ、左前輪を中心に極端な回転運動となったと結論づけている点についても、右の認識の誤りがある上に、アッパーアームやボールスタッドの変形、アッパーアームシャフトやタイヤの損壊状況に照らして、左前輪の結合部と本件ポールとの衝突なしに左前輪が脱落したとみるのは不合理であり、右甲号証を採用することはできない。

甲第一二号証の1が指摘する楕円形となったテーパー穴の長軸の傾きが最大舵角を超えているとの点については、前記2(二)のとおり、本件事故においては、左前輪結合部には本件ポールと衝突したことによる過大な衝撃が加わっており、その際に左前輪が最大舵角を超えて傾いた可能性があり、テーパー穴の変形の状態から左前輪が衝突前から大きく左に切られていたと推測することができない。

4  右によれば、原告が主張するように、本件事故前に、本件自動車の運転に異常な事態が発生したと認めることはできず、かえって、原告春男が述べる事故状況は、前記2(二)のとおりの事故の経過であることを前提としても、本件ポールに衝突した後の経過を述べたものとみることもできるのであって、本件事故は、原告春男の前方不注視等の過失によって生じたとの可能性も否定できない。

そこで、本件自動車の「欠陥」のより具体的な内容として原告が主張する、争点3(ボールスタッドを固定するナット及び割りピンの不具合の有無)について検討を進める。

四  争点3について

1  証拠(検甲七〜九、検証の結果、原告甲野春男)及び弁論の全趣旨によれば、本件事故現場付近には、ボールスタッドをナックルに固定するナット及び割りピンは落ちていなかったこと、ナックルの下部のボールスタッド結合部にあるテーパー穴の内部には穴を加工する過程でできるツールマークとは別に三か所の傷がついており、その位置は、車両の進行方向の前側にあり、テーパー穴下面から約九ミリメートルのところに長さ約4.6ミリメートルの傷が下面とほぼ平行にあり、さらに車両内側のテーパー穴下面から約10.8ミリメートルのところには縦方向に長さ約五ミリメートルの傷があったほか、下面と平行してある傷の上にも短い傷がついていたことの各事実が認められる。

原告らは、右事実に加えて、ナックル下部のテーパー穴の変形の状態(前記第二の二5参照)等からすれば、本件自動車の左前輪をロアアームにつなげるボールスタッドについて、割りピンが本件事故の前からはずれており、そのためにボールスタッドとナットの結合状態がゆるみ、通常生じないような傷がナックルのテーパー穴内部についたと主張し、甲一二の1(鑑定書)は、本件事故の状況等から判断して本件自動車には割りピンがもともとなかったかはずれていたために本件事故を惹き起こした欠陥があると結論づけている。

2  しかし、本件事故後、ボールスタッドを固定するナット及び割りピンが事故現場周辺で発見されなかったという事実から、直ちにナット等が本件事故の前に本件自動車から脱落していたと認めることはできないから、脱落の事実を直接証明するものはない。

証拠(戊村良一、検証の結果)によれば、テーパー穴の内部には加工のときにできるツールマークが残っており、加工後についたとみられる傷は数か所にすぎず、その傷の形態も、テーパー穴下面と平行についているものや、やや斜め垂直方向についているものもあるところ、原告らが主張するように、本件事故前にボールスタッドがテーパー穴から離脱しかかっていた過程で生じたものであるならば、傷の数が少なく、また縦方向に傷がついていることの説明ができない上、前記のとおり、本件自動車は、グリルガードやバンパー等が本件ポールと衝突した後、左フェンダーを変形させながら前

別表

部品名

材   質

引っ張り強さ (kgf/mm2)

ボールスタッド

合金鋼

八〇以上

フェンダーシールド

フェンダパネル

冷間圧延鋼板

二八以上

アッパーアーム

自動車構造用熱間圧延鋼板

三二以上

ナックル

機械構造用炭素鋼

七〇以上

進して左前輪や結合部に直接ポールが衝突し、その過程で左回転をするという複雑な過程を経ていることからすれば、(被告ら主張のように、本件事故の衝撃によってボールスタッドがテーパー穴から離脱する過程で、揺れ戻しがあり、その際にボールスタッドのネジ部が接触したことによると特定することまではできないものの)本件事故の際にボールスタッドが離脱する過程で生じた傷である可能性は否定できない。

さらに、証拠(乙一九)によれば、ナックルのテーパー穴は、前記第二の二5のとおり、変形していたが、その下面はボールスタッドを固定するナットが当たるべき座面については錆等は生じておらず、金属の光沢が残っていたが、その周囲は錆びて赤茶色に変色していたことが認められ、割りピンについても、ナックルやボールスタッドに比べて軟らかい素材で作られているため、前記二2(二)のような経過をたどってボールスタッドがナックルのテーパー穴から引き抜かれた場合には、ボールスタッド下部の穴に割りピンの破片が残る可能性が高いにもかかわらず(甲一二の1、戊村良一)、そのような金属片は一切見当たらなかったのであるが、証拠(甲一二の1の添付写真5〜15、乙三九)によれば、被告山川自工の材料技術部において、ボールスタッドをナットと割りピンによって固定した状態でナックルから引き抜く実験を行ったところ、割りピンの破片は残ることも残らないこともあったが、ボールスタッド下部の穴の下側には割りピンによって凹形に変形が生じ、本件自動車のボールスタッドについても下部の穴に同様の変形があることが認められる。

これらの事実によれば、ボールスタッドを固定するナット及び割りピンが本件事故当時までついていたことがうかがわれ、証拠(甲一、一二の1、乙九〜一二、三二、検甲一、原告甲野春男)及び弁論の全趣旨によれば、本件自動車の左前輪の構造は「圧縮型ボールジョイント方式」であって、ロアアームと車体の間にあるスプリング(トーションバースプリング)によって、アームには下に押す力が働き、これとタイヤが路面を押す抗力とが釣り合って、ボールスタッドがナックルのテーパー穴からは容易に抜け出ない構造になっていること、本件事故現場付近は平坦な直線道路となっており、走行中車体に大きな振動を与える原因はなく、本件自動車を運転していた原告春男も、本件事故前に縦方向の揺れを感じていないこと、ロアアームのボールジョイントケースもかしめ部分が大きく変形していることが認められるから、ボールスタッドがナックルのテーパー穴から抜け出ていたと推認するには不自然な点も多く、本件事故当時、ボールスタッドを固定するナット及び割りピンがなくなっていたとの原告らの主張は採用できない。

五  結論

本件事故は、直線道路を走行する自動車が、道路左脇にあった交通標識に衝突し、最終的には左前輪が脱落するという態様であり、原告らは、本件事故直前に本件自動車の左前が沈み込み操舵不能になるという異常な事態が生じたと主張していたが、以上検討してきたとおり、原告らが主張するような異常が本件自動車に生じたとは認められず、さらに本件自動車の通常の走行を妨げるような瑕疵があったと認めることもできないから、争点4、5について判断するまでもなく、原告らの請求は理由がない。

(裁判官森木田邦裕)

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